はじめに
これは、自分がこの一年間に経験した日々をつづった、いわばエッセイである。
2024年、つまり去年。自分の人生はこの年を境にガラリと変貌した。
数え年で厄年だった去年は七年間使い続けたパソコンを、windors11非対応だった為に買い替えざるを得ない事態になり、その年の六月に新たに、堺東にあるB型就労支援作業所"ラシクラボ"に通い始め、DTMとイラストを軸にパソコン関連の勉強をし始め、音楽の幅を広げた。
通って貯めた給料はパソコンの買い替えの為に使われる。今年10月中旬までに買い替えるのか目標だ。
最初は楽しいと思っていた。今も楽しいと思っている。しかし仕事に夢中になる余り、自分自身の休息を疎かにしてしまい、何としても金を稼ぎたいと思う様になり、パチンコに行き浸る様になった。
結果として勝ちもあれば負け続け、負けては取り返そうとして負けての繰り返し。以前からパチンコ依存症を持っていた為、悪化したと察した。
こんな日々が毎日続き、一生パソコンも買えないし、お金もままならないし、自分は変わらないだろうな、と、思い始めて、生きる気力も無くなってきた。
て言うか、もう、生きる気力が無い。
人生を終えたいと思った。その日の夜はやはりパチンコでぼろ負けして自棄になってしまっていた。訪問看護は連絡しても出ない、彼氏とも連絡が繋がらない、もう死んだ方がいい、いなくなってやろうと、家のベランダへ向かい、柵を超えて飛び降りようとした。そうすれば人生ともおさらばできる。愚かな人生だった。そう思っていた。
その時だった。ある一人の男の声が聞こえて来た。
自分を心配するあまり、張り裂ける様な声で叫んでいた。
"死んだら僕みたいになる、死なないでほしい、生きてほしい"
ふと、我に返って振り向いて、何処で声が聞こえて来たのか、自分に向けて叫んだ声は、ある俳優の声に似ていた。
確か、あの声は―――
"渡辺裕之"だったよな―――
渡辺裕之といえば、精悍な顔立ちに浅黒い肌、鍛え上げた肉体も逞しく、頼もしそうかつ優しい人柄だったが、二年前に突如、六十六歳の、まだこれからという年齢でこの世を去った。しかも自殺という形で。
―――確か、自殺した人は天国に行けないともう一つ通っている作業所の職員からそういう話を聞いた事がある。
もしかしたら、渡辺裕之は今も天に召されず何処かを彷徨い、その最中に自分が死のうとしていたのを見かけたから、必死になって自分に向かって届かない声を掛けたに違いない。
その声を自分は聞いて、我に返った。すぐさま飛び降りるのをやめて、ベランダから遠ざかった。その後に彼氏から連絡が来て、思いっきり怒られた。おかげで生きてる事を痛感した。
これが、自分がナベさんに命を助けられた最初の出来事。
この日から自分はナベさんに大層お世話になる事になる―――。