「死んだ渡辺裕之に恋をした」
この曲の制作に取り掛かったのは十一月の半ば。
この頃の自分は、ようやく自分らしい生き方を見つけたばかりだった。
夏の初めに自死をしようとした自分を止めてくれたナベさん(渡辺裕之)に会えた事で、自分の生き方自体を考えさせる様になった。もう生きれないナベさんと今を生きてる自分。それぞれ生き方は違うが、生きる苦悩を共有したいという思いは分かち合えたと思った。
ナベさんがいた芸能界は犠牲まみれの連続だと思う。有名人が何かやらかしたらテレビやSNSで叩き合ったり、あるいは何かいい事が起きたら褒め称えたりと、あるいは突然亡くなったりしたら様々な憶測を言い合ったりと、生きてても死んでても誰かが犠牲になったり励まされたりと、生きてても死んでても自分の神経を減らすのだ。
ナベさんは自死でこの世を去った。しかも家族を残して。その頃はコロナが収まり始めてたが蔓延していた。コロナを苦に人生が辛くなったが為にその結末を選んだと、マスコミはそう伝えた事もあった。
一番苦労したのは原日出子さんや子供達だろう。こういう事が起きると不幸に関係なくマスコミは取材してくる。大切な人を亡くしたばかりなのに、こういう対応をされたら身も心も落ち着かなかったはずだ。
自分はこういう"受けた傷"を舐めるマスコミが嫌いだと心から思う。
それから二年経ち、原さんの傷も少しづつ癒え、マルコちゃんという犬を家族に迎え、穏やかな日々を過ごしている。
でも、家族の幸せを一番思っていたのは、大黒柱だったナベさんかもしれないのだ。
身体から離れ、身体は骨になり、魂だけになって、自身も救いを求めて彷徨ってる時に、自分が死のうとしたのを見て、咄嗟に止めようと声を掛けた。家族も大事だが、こんな自分を助けた彼は本当に優しい人なんだと心から思った。
大切な人々を心から心配するそんなナベさんに、恩返しあるいは遅すぎた恋文を送りたいと、この「死んだ渡辺裕之に恋をした」という曲を作ろうと思った。
曲調は畳みかけるピアノ調で、シンセも加えながら、どうしても好きだったという思いを伝えたいというイメージで作曲した。魂の彼に出会って、共に過ごした日々を思い出しながら、一気に作曲した。
どうしても、ナベさんに思いを伝えたかったからだ。
曲は完成し、後は作詞とボーカルだけだった。しかし、生半可な歌詞では彼には届かない。もう少し練らなければいけないと思った。
彼への思いを伝える為に、最初に決めた投稿日は彼の六十九歳の誕生日、十二月九日に決めたが―――